二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌日程
平成26(2014)年 |
二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌 予修法要
(於:9管区・4国際布教総監部) |
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平成27(2015)年 | 準法要 6月1日~8日 |
平成27(2015)年 | 献茶式(裏千家今日庵坐忘齋千宗室御家元) 〈6月〉 |
平成27(2015)年 | 諸堂耐震工事落慶式(第一期工事) |
平成27(2015)年 | 大遠忌正当 10月7日~20日(20日:法定聚会) |
二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌Q&A
Q. | 大遠忌(だいおんき)ってなに? |
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A. |
遠忌とは、祖師や故人の功績を偲んで、亡くなられた後、長い年月がたってから行う法要のことです。
通例として、五十回忌以降、50年毎に行われます。その中でも、宗派を開いた祖師や、大本山の発展に深く関わった祖師方の法要を、特に大遠忌と呼ぶのです。 |
Q. | なぜ瑩山禅師は能登に總持寺を開いたの? |
A. |
定賢律師(じょうけんりっし)から諸嶽寺(もろおかじ)を譲り受けたことに始まります。
瑩山禅師は、多くの寺院を建立しており、曹洞宗の教えを広めていこうとする強い思いがありました。 總持寺の地理的状況を見ると、その門前には良港があることから、海上交通を利用して、曹洞禅を全国に発信していこうと考えたと思われます。 |
Q. | どうして總持寺は能登から鶴見に移転したの? |
A. |
明治31(1898)年の火災で能登の總持寺はほぼ全焼しました。
新しい時代の発展を願って、首都東京と国際的な港横浜の中間に位置する鶴見に移転、再建されたのです。 時に、明治44(1911)年のことでした。 瑩山禅師の祖廟がある能登の旧地は、現在は「總持寺祖院」として再建されています。 |
Q. | 「二十五哲」ってどんな人? |
A. |
峨山禅師は人材の育成に努めました。その結果「二十五哲」といわれる25名もの俊才を輩出することになり、曹洞宗を全国に展開させる原動力となりました。
なかでも太源宗真(たいげんそうしん)・通幻寂霊(つうげんじゃくれい)・無端祖環(むたんそかん)・大徹宗令(だいてつそうりょう)・実峰良秀(じっぽうりょうしゅう)の5人は「五哲」と呼ばれ、總持寺運営の主導的立場を担いました。 |
Q. | 「輪住制」ってなに? |
A. |
住職が、短期間に交替し、寺院の発展・護持に務める制度です。これは、多くの優れた僧侶に活躍の場を与え、それぞれの能力を発揮しながら、協力して寺院を維持することにつながりました。
總持寺には、「五哲」が開いた五院と呼ばれる寺院がありました。これらから一定期間毎の住職が出て、總持寺を守っていったのです。 |