鎌倉時代後期
建治2(1276)年 ●0歳

生誕地・瓜生に建つ顕彰碑
【峨山禅師の歩み】
能登羽咋群瓜生田(現在の石川県河北群津幡町字瓜生)に生まれる
弘安4(1281)年
【時代背景】
弘安の役(二回目の蒙古襲来)
正応4(1291)年 ●16歳
【峨山禅師の歩み】
比叡山延暦寺で菩薩戒を受け、講師円宗(こうしえんしゅう)に学ぶ
永仁5(1297)年
【時代背景】
鎌倉幕府が永仁の徳政令を出す
永仁5(1297)年 ●22歳
【峨山禅師の歩み】
冬、瑩山禅師に京都において見(まみ)える
正安元(1299)年 ●24歳

東香山大乘寺
【峨山禅師の歩み】
春、再び東香山大乘寺に瑩山禅師を訪ね、衣を改めて禅門に参学する
正安3(1301)年 ●26歳
【峨山禅師の歩み】
悟りを開き、瑩山禅師にそれを認められる
徳治元(1306)年 ●31歳
【峨山禅師の歩み】
瑩山禅師の指示により、緒方遍歴の途に着く
元亨元(1321)年 ●46歳
・ 瑩山禅師、諸嶽山總持寺を開創

洞谷山永光寺
【峨山禅師の歩み】
・瑩山禅師より、洞谷山永光寺(ようこうじ)妙荘厳院にて「戒脈」及び『仏祖正伝菩薩戒作法』一巻を、明峰素哲(めいほうそてつ)とともに受ける
・永光寺首座(しゅそ)に任じられ、説法を行う
正中元(1324)年
【時代背景】
正中の変(後醍醐天皇による鎌倉幕府倒幕計画)
正中元(1324)年 ●49歳

大本山總持寺祖院
【峨山禅師の歩み】
永光寺首座として大衆20名とともに、總持寺僧堂の開堂式のため出向く。瑩山禅師より總持寺住職を任せられ、拄杖(しゅじょう)・払子(ほっす)・法衣(ほうえ)などを受ける
正中2(1325)年
【関連事項】
瑩山禅師、永光寺にて示寂(じじゃく)(62歳)
正中2(1325)年 ●50歳
【峨山禅師の歩み】
瑩山禅師より自賛の頂相(ちんぞう)を授けられる
元徳元(1329)年
【関連事項】
無外円照(むがいえんしょう)が来参する
南北朝時代
元徳2(1330)年 ●55歳
【峨山禅師の歩み】
『瑩山清規』(けいざんしんぎ)を書写する
元弘3(1333)年
【関連事項】
總持寺雑掌禅勝(ざっしょうぜんしょう)より、寺領を寄進される
【時代背景】
鎌倉幕府滅亡
建武3(1336)年
【時代背景】
室町幕府成立、南北朝時代はじまる
暦応3(1340)年
【関連事項】
・足利直義、仏舎利一粒を永光寺に寄せる
・足利尊氏、若部保の地頭職を永光寺に寄進する
・吉見頼隆、仏舎利一粒を永光寺に寄せる
暦応3(1340)年 ●65歳
【峨山禅師の歩み】
永光寺の住職となり永光寺の廊院、さらに浄住寺の東司(とうす)を造営
暦応4(1341)年
【関連事項】
無底良韶(むていりょうしょう)法を嗣ぐ
暦応4(1341)年 ●66歳
【峨山禅師の歩み】
永光寺を退き總持寺へ帰る
貞和2(1346)年
【関連事項】
源翁心昭(げんのうしんしょう)が總持寺に参ずる
貞和5(1349)年
【関連事項】
太源宗真(たいげんそうしん)、法を嗣ぐ
貞和6(1350)年
【時代背景】
観応の擾乱(足利尊氏と足利直義の争い)
文和元(1352)年
【関連事項】
・前右兵衛督某、總持寺敷地を寄進する
・通幻寂霊(つうげんじゃくれい)が總持寺に参ずる
文和2(1353)年
【関連事項】
南朝より瑩山禅師に仏慈禅師の謚号を賜る
文和3(1354)年
【関連事項】
南朝、總持寺に住職位を認可し、さらに勅願所とする
文和4(1355)年
【関連事項】
道叟道愛(どうそうどうあい)、法を嗣ぐ
文和4(1355)年 ●80歳
【峨山禅師の歩み】
無底良韶を永光寺住職に招請する手紙を、正法寺(岩手)へ送る
延文元(1356)年
【関連事項】
通幻寂霊、法を嗣ぎ、『仏祖正伝菩薩戒作法』を授ける
貞治元(1362)年 ●87歳
【峨山禅師の歩み】
總持寺未来住職補佐の規則を定める
貞治2(1363)年
【関連事項】
無外円照、總持寺に参ずる
貞治2(1363)年 ●88歳

峨山石
【峨山禅師の歩み】
・三度(みたび)、永光寺の住職にとなる
・永平寺に登り、承陽殿に拝する。(峨山石)
貞治3(1364)年 ●89歳
【峨山禅師の歩み】
・總持寺住職の取り決めを定める
・選ばれた弟子たちに教えを示す(『山雲海月』という書にまとめられる)
貞治5(1366)年 ●91歳
【峨山禅師の歩み】
・法嗣、および伝戒の弟子、28人の順序を定める
・示寂(享年91歳)