ホーム > 御両尊について > 太祖・瑩山紹瑾禅師について

太祖・瑩山紹瑾禅師について

瑩山紹瑾禅師

全生涯をかけて求道し伝道した

曹洞宗の大本山・總持寺の開祖である瑩山紹瑾禅師は、お釈迦様の教えである「正法」を全国へと広め、曹洞宗の教団発展の基礎を築きました。

文永元(1264)年10月8日、越前の国、多禰邑の豪族・瓜生邸にて生を受け、熱心な観音信者の母に育てられた瑩山禅師は、幼少のころより信仰心に目覚め、わずか8才にして出家の志を発します。
世相を離れ、ただひたすらに仏法の真意を求めて弁道に励んだ禅師は、のちに總持寺をはじめとした数ヶ寺の建立とともに、多くの優秀な弟子を輩出し、教線の拡大をはかります。その後も衆生と信仰との橋渡しとなり、数々の偉大なる功績を残して、正中2年(1325)9月29日、62才で遷化。その生涯は、求道と布教にささげられたのでした。

峨山韶碩禅師の生涯

瑩山紹瑾禅師

【瑩山紹瑾禅師】
文永元(1264)年~正中2(1325)年
享年62
福井県越前の生まれ

瑩山禅師の功績

文永8(1271)年、8才の年に永平寺に上り、徹通義介禅師について出家をした瑩山禅師は、13才で菩薩戒を受け正式な僧侶となりました。その後28才で阿波の城満寺の住持に迎えられ、のちの4年間で70余名の弟子に仏戒を授け、やがて大乗寺へと移り、義介禅師のあとを継いで2代目の住職となります。
58才の年には能登国櫛比庄の諸嶽寺を寄進され、現在の大本山總持寺の起源となる禅寺へと改めました。生涯を布教に投じた禅師は、祈祷や追善供養などにも積極的に取り組み、また当時では珍しい男女平等の姿勢を打ち出すなど、老若男女に門戸を開き、多くの人々の救済に努めました。